こんにちは、啓太です
マイペースでブログを更新しているのですが
自己紹介にあたる記事が一つもないことに気付き、今日は自己紹介記事を一本書こうと思います
とりあえず今日は小学生編ということで、今後自己紹介の記事は更新していきたいと思います
不登校
私は小学1年生から3年生まで、不登校でした
入学して何日か通学はしていたんでしょうが記憶には残っていなくて、記憶に残っているのは先生が怖かったことと学校に行くのが嫌だったということだけです
当時の担任は女性の先生で頭には2本の角が生えていたように見えていました
その先生のことを思い出そうとすると、今でも角の生えた先生がどしんどしんと四股を踏むという場面が思い出されるのです
実際に先生がそんな動きをしたかどうかはわかりません
ただ当時の怖かったイメージが捏造した記憶だと思います
そしてここから母と私との、特に母にとってはきっと長く辛い闘いが始まったのです
初めの方は集団登校をしていて登校の途中にやっぱり学校に行くのが怖くなりお腹が痛くなって家に帰る、ということを繰り返していました
精神的な不安が腹痛を起こしていたのだと思います
登校ルートに隣町と繋がる大きい陸橋があったのですが、その陸橋を渡ることができずに陸橋の途中でよくお腹が痛くなっていたことを憶えています
たいていそうなると一緒に登校している姉に家に連れて帰ってもらうのですが、姉は私を家に送ると学校を少しさぼれる!と喜んでいたらしいです
お腹が痛いときの姉は妙に優しいと思っていました
家ではおばあちゃんとともに
しばらくは母も私を無理に学校に行かせるのは良くないと思ったのか、おとなしく家で過ごさせてくれました
私の実家は共働きで、母は特別養護学校の先生として施設に勤めており父は家で整骨院を営んでおりました
そして当時は父方の祖母(以下、おばあちゃん)も一緒に暮らしており、一日中おばあちゃんに面倒を見てもらっていました
母もおばあちゃんがいたから安心して私を家に置いておけた、と後に言っていました
なので、この頃はずっと家でおばあちゃんと過ごしていました
私は当時ボンバーマンというゲームが好きで、スーパーファミコンでそのゲームを遊んでいたことを憶えています


たまに一人でやっててもつまらないからと、おばあちゃんを無理やり誘って一緒にボンバーマンをプレイしていました
しかしおばあちゃんはボンバーマンが下手なのですぐに爆発に巻き込まれてやられてしまいます
そんなおばあちゃんに「なんでそんなすぐ死んでしまうん!」と文句を言いながらやっていました
今思うと、考えすぎかもしれませんが戦争を経験したおばあちゃんになんちゅうゲームをやらせていたのでしょうか、おばあちゃんに謝りたいです
そして夕方5時になるとおばあちゃんは大相撲を見るので、そのときはおばあちゃんにテレビを譲っていました
その時間まではずっとゲームをやっていたのか。ちょっと記憶が曖昧ですが、そうだとしたら確実にやりすぎですね
あと父ですが、私が家で過ごしている間でも父は家で整骨院を営業していたから診察と診察の合間の時間とかに顔を合わせているはずなのですが、全くといっていいほどその頃の父との思い出は記憶に残っておりません
何かを一緒にやった記憶も無く、会話もそんなになかったように思います
もしかしたら父はあまり育児に参加していなかったのかもしれません
それか私を相手する暇などはなかったのかもしれませんね
そんな感じで実家の育成方針は基本的には放任だったように思います
今思い返すと当時の姉との会話も兄との会話もしていたか憶えていないので、私が記憶を消去してしまっている可能性もあります
幼少期は母とおばあちゃんとの思い出がほとんどです
カウンセリング
ある日、母に小児カウンセリングに連れていかれ診察を受けました
そこに行くのに私は嫌がった記憶はありません、おそらく時間的に学校に連れていかれることはなさそうだし母とお出かけができるとでも思ったのでしょう
どうやら根っからの引きこもり体質ではなかったようです
そのカウンセリングの診察とは、そこの職員のおねえさんと1対1で部屋にあるおもちゃで遊びまくる、というものでした
私はそれが相当楽しかったのでしょう、そのときの感情やおねえさんとおもちゃのボクシンググローブを付けて遊んでいる情景が今でも鮮明に思い出せます
カウンセリングの診断は特に異常なし、でした
他にも母は知り合いの人から宗教のお誘いがあったり、はたから見てもよっぽど大変にうつっていたんだと思います
近所の間では私が不登校というのは周知の事実でした
母、パワーモード発動
そんなこんなで私が不登校になってから2年経ち、学年でいうと3年生になっていたころ
今まで私の不登校を見逃してくれていた母が、朝に力づくで私を家から出そうとしてきます
なにか母のモードが切り替わったように感じました
大人になってから母にそのことについて聞くと、当時の担任の先生に母も釘を刺されていたみたいで
「4年生になるまでに学校に来れるようにしておかないと、クラスの子どももなんかおかしいと気付くし今よりもっと学校に来ることが難しくなりますよ」と、言われたそうです
週に何度か私を家から出発させようと出勤前の貴重な時間を使って私と闘っていました
抵抗して泣きわめき仮病をつかう私、母はそんな私を引っ張ったり足の痛いツボを押してきたりしてなんとか学校に行かせようとします
ときには母は会社に遅刻する旨の連絡を入れてまで私と闘おうとしてきました、しぶといです
母は理学療法士ということもあり、体の構造に詳しいのでクレヨンしんちゃん顔負けのぐりぐりツボ攻撃はよくありました
しかし母が学校に休みの電話をすれば私の勝ちです
母が休みの電話をした瞬間私は学校に行かなければならないというプレッシャーから解放されて、自由を感じることができたのです
しばらくはそんな毎日が続いていたように思います、数か月だったのか数週間だったのか
期間はわかりませんがその戦いの期間は永かったように思います
姉の発表会
そんな闘いを毎日続けていたある日のことです
その日は特別な日でした
何が特別だったかというと、当時小学5年生の姉のクラスの劇の発表会の日だったのです
どんな劇だったかは私は知らなかったですが、姉はたしかオオカミの役でした
母はその劇をとても楽しみにしていたようで、当日ももちろん観に行こうとしていました
しかし家に私を置いて劇を観に行くことはしませんでした
母は私を学校に連れていき、それからそのまま姉の劇を観るという予定だったようです
予定だったのか、そう固く決めていたのか
姉のクラスの劇の順番は早めだったようで、なんとしても劇が始まる前に私を連れて行かなければなりません
でも私はやっぱり学校に行くのは嫌なので全力で抵抗します
足つぼ攻撃をされても喚きながら抵抗します
母はその日は発表会というイベントのため、いつもよりきれいな服を着ていました
母は「おねえちゃんの発表会があるから今日はけいたもがんばっていこう」「今日はけいたが一緒に家を出られるまでお母さんもとことん付き合うから」と私を説得しながら闘っていました
それでも私の心は変わらず、行きたくないの一点張りでした
そしてそろそろ家を出ないと発表会に間に合わない時間になりました
すると母は突然泣き出しました、子どものようにえんえん泣き出したのです
きれいな外行きの服を着たまま子どものように泣く母
「けいたのせいでおねえちゃんの劇見に行けなかった!うわあああん!」
私は茫然としてしまいました
母がこんな風に泣くのを初めて見たし、自分はとんでもないことをしてしまったんだと思ったからです
よっぽど衝撃だったのでしょう、今でもその日のことは思い出せます
ですがそのあと私はどうしたのかは忘れてしまいました、たぶん謝ったりはしていない気がします
ものすごい罪悪感を感じたことだけは憶えています
不登校を克服
そんな私も3年生の後半くらいから少しずつランドセルを背負って家からは出られるようになってきます
ただし、母の自転車の後ろに乗せていってもらわないと行けなかったです
その頃母は毎日のように仕事に遅れて行っていました
そして私はそのまま自転車で学校に行けるようになったわけではありません
自転車に乗っていても母が信号待ちしている隙に自転車から飛び降り、家に帰ったりしていました
調子が良い日には学校の教室まで行ける日もありました
ただし母と離れるのが不安で母と一緒じゃないと行けなかったです
時間的に学校に着くのがお昼近くになることもあり、母も一緒に机をくっつけて給食を食べたりしたこともあります
それでもだんだんと少しずつ学校に行けるようになってきました
母と登校している時間は母と遊べる時間で、自転車の後ろに乗って走るのは好きだったと思います
その瞬間は母を独り占めできるから嬉しかったんだと思います
そうして母の努力の甲斐あって、4年生になるころにはすっかり自力で学校に行けるようになりました
元々目立ちたがりな性格なこともあって、面白いと言って友達もすぐに仲良くしてくれました
それからは毎日学校に行くのが楽しくバスケットボールクラブに入ったり活発に活動して小学校を卒業しました
母の不登校に対するやり方が正しかったかどうかはわかりませんが結果的に私は不登校を克服することができて、人とのコミュニケーションを円滑に行うこともできるようになりました
もしあのままずっと不登校を続けていたらおそらく今頃人付き合いも苦手になっていたと思いますし、苦労していたでしょう
おわりに
あのとき家に籠っていた私に毎日ごはんを作ってくれて、遊び相手にもなってくれたおばあちゃん
私を見捨てずになにがなんでも不登校を克服させるというパワー系の愛情を注いでくれた母
急に学校に現れた不登校児を快く迎え入れてくれた友達
みんなのおかげで今の自分が形成されました、とても感謝しています
そしてこの記事は自己紹介として書きましたが今不登校に悩んでいる子どもたち、そしてその親御さんの一助になれば嬉しいです
それではまた、おやすみなさい
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