
平成元年(1989)生まれ
大阪府出身
小学一年生で先生が怖いという理由で三年生の終わりころまで不登校になるが、周りのサポートのおかげで四年生からは学校へ行けるようになる。
今でも鮮明に憶えている記憶は、登校中に自分の手のひらを握ったり開いたりしながら「自分が動いている」ということにとても不思議な感覚を持っていたことである。
「これが自分なんだ」ということが不思議で不思議でしょうがなかったのである。
そのときは「脳の中の自分」と器になっている「体である自分」が完全に分離していることを認識していたようにも思える。
中学校に上がってからはバスケットボール部に入部し、のちにキャプテンを務めることとなる。
中学生時代はとにかく調子に乗っていた。何も考えずただただ毎日を謳歌していたように思える(きっと当時はいろいろ考えたりしていたのだろうけど記憶に残っていない)。
高校は、電車通学にあこがれていたのと「桜」という文字が入った学校が良いと思っていたので、少し遠かったけど体育科のある学校を志望した。
ここでもバスケットボール部に入ったのだが、練習がめちゃめちゃきついのと体育系特有のウェーイみたいなノリが全く合わなくて学校を辞めたくなる。
結局周りの説得もあり陸上部に転部して、なんとか卒業まで在校することになる。
とてもつまらない高校生活だった。辞めればよかった。
電車通学で可愛い女の子と出会い恋に落ちることを夢見ていたのだが、一向にそんな気配もなく卒業式を迎える。
大学では建築を学ぶ。
二級建築士の資格を取るも、設計よりも家具を自分の手で作りたいと思うようになる。
就職活動もそこそこに、長野の家具作りが学べる技術専門校に入ることを決める。
そこでみっちり一年間家具作りを学び、岐阜の小さな家具工房に就職するが一年で辞める。
これからずっと6時には起きて車が出られるように駐車場の雪かきをして(当時は冬だった)工房に行って、20時くらいまで働いて帰ってきたらまた駐車場の雪かきをして駐車して、というような毎日を繰り返すことに絶望して辞めたくなる。
結局辞める。
なんて人生だ、立ち上がっては打ちのめされての繰り返しだ。
それからは大阪の実家に戻り、伊豆のペンションで一年間働いたり岐阜の山小屋で働いたりしながら生きていく。
せっかく木工の技術と道具があるから、自分で作品を作って売ったり頼まれたら家具を作ったりしていた。
伊豆で知り合ったおじいさんと茨城で家の改装工事をしたり、大阪の古民家を再生する手伝いなんかもした。
心はずっともやもやしたまま大阪の実家を拠点にして、しばらく個人事業主として活動していく。
茨城の現場が一息ついて大阪に戻ろうとしたところ、姉から「遊びに来い」と連絡を受け、茨城から直接姉夫婦が営んでいる山梨のぶどう農家に遊びに行ったときのことである。
そのとき現在のパートナーに出会う。当時は姉の友達として紹介された。
それからパートナーと親交を深めてお付き合いすることとなる。
約一年間は遠距離恋愛をしていて、相談の結果二人で三重のアパートに引っ越すこととなる。
こうして現在はパートナーと二人でそれぞれ働きながら、どうやってお金を生み出して夢を叶えていこうか試行錯誤している。